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用と美と
最近、改めて盆栽とは何かと考える機会がありました。
盆栽を語る時に比較する言葉として、「園芸」があります。
以前にもblogで書いた事がありますが、ざっくり言ってしまえば「人為」か「天為」かです。
厳密にはどちらも人為、天為の両方の性質がありますが、盆栽は植物における「人為」の追求で、園芸はどちらかといえば「天為」に近い感覚で植物を捉えています。
どちらが良い悪いという事ではなく、目的の違いです。
例えるなら、「工芸」と「美術」の違いに近いと思います。
工芸は生活を豊かにするもの、美術は心を満たすもの。
盆栽と園芸もなんとなく似ていると思っています。
植物との関係にこれが正解というモノはないと思いますが、ただ思うのは、盆栽という文化の中で仕事をしているからには、人が思いを込められる盆栽をどうせなら作りたいし、そういうモノの中で生きて行きたいと思います。
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野梅の花
香りがいい。一重の花。
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斑ではない
ハランの葉。よくお弁当に入っているバランの由来の植物です。
凍結によって葉が斑入りみたいになっている。
一時的な現象で、葉も痛むので防ぎたいところでしたが、とてもきれい。
こういう植物のリアリティーはバーチャルにはない感動があります。
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冬の表情
ヒノキの葉の霜焼け。
ちょっと分かりにくいかな。
毎年こうなります。
寒風と霜に当たると茶褐色に変色しますが、春になるとまた活き活きと蘇る感じが見ていて楽しい。
ハウスに入れたりして、防寒すれば緑を保てるけど、これはこれで良い。
季節や天気、気分によって感じ方や見え方が変わるのは人も植物も同じです。
葉が痛んだり、枝が枯れたりしてしまう事もありますが、一時的な状態にとらわれることなく、普遍的な豊かさを探して行きたいと思っています。
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盆栽 蝦夷松
ここ最近、針金掛けが続いている。
松柏類の針金掛けは冬季に行う事が多く、春の植え替え前までに出来る限り終わらせておくと後が楽です。
この蝦夷松は入手して大体五年位経っていて、これが3度目の針金掛け。
だいぶ形が出来てきたので、今回は今後の成長を考えて、きっちりと枝の配置を決める事にしました。
前回までの2回は荒掛けと言って、大まかに形の方向性を矯正するだけでしたが、今回は全ての枝の全ての芽まで確認しながら、剪定と針金掛けを行いました。
蝦夷松は芽吹きが旺盛で放っておくと枝先が混み合うので、剪定で不要な芽や枝を整理しておくと、今年、来年と成長しても綺麗に枝を作って行く事が出来ます。また、その成長の方向と程度も考慮しながら枝の棚を作って行きます。
今回はどこから見てもきっちり作りたかったので、結局、12時間近くも掛かってしまったのですが、盆栽と集中して向き合っている時間は贅沢はひと時です。
こんな風に何十年も人から人へと、受け継ぎながら作り続けていくのが盆栽の面白い所ですね。自分だけでは完成しなくても、誰かの手に受け継がれる様な、受け継ぎたくなる盆栽を創れるように日々精進に励むのみです。
2度目の針金を外して半年経った状態。
一年半は掛けたままにしていたのですが、上に戻る力が強く、また形が乱れました。
今度は二年は掛けておく事になると思います。
もちろん、針金が枝に食い込んできた箇所はその都度外していきます。